テーマ6 ― 神、宗教、万有(在るもの全て)


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 「私が伝えようとしているのは、君達が自分自身の中を見つめて、よく調べてみたら何が得られるかということだ。君達が神々の神聖な書物を研究するのと同じくらい、じっくりと、自らの神聖さ、創造性、自分の受けている恵み、そして喜びや力を研究してみれば、こうした神々の本は、どれもこれも個人の大きな現実界、個々の魂の現実界に基づいていること、それはすなわち、君達自身の現実界に根ざしたものであることが理解できるだろう。
 ただ、自分自身に敬意を表してみるということだ。そうやって自らを敬うことで、君達は「神々になりつつある自分」が自らの中に見えるだろう。
写真。ロバーツが40歳の頃
 さて、君達の目の前には神々という概念が築き上げられてきた。その概念は君達自身の手によって、自らの目指すべき理想、自らの従うべき指針として作られたものだ。それは君達自身の魂から外側の物理的な現実界へと投射され、君達自身が作り上げたものだ。そのため、神々の概念は、神々自身の限りある生に伴う論題や時代、そして歴史的な背景に従ってきた。
 しかし、これらの神話の背後や神話の中には、君達自身の生きる現実界がある。キリストも釈迦も君達の中にいるのだ。どちらも君達自身の象徴なのだから。彼等に向かって祈るということは君達の中に隠れている神々に祈るということだ。だから、数々のおもちゃで頭が混乱してしまった子供のように、キリストや釈迦を脇へと蹴飛ばす必要はない。
 君達の許に下りてきた神々の本質を理解しなさい。神は君達一人一人の中に隠れているのだ。そうした見えない神の本当の性質は、言葉に表れることこそないが、幾多の歳月に渡って、いつでも、君達の歴史の中に見出せるだろう。
 『在るもの総て』は個としての存在に関する君達の知的観念を超えている。『在るもの総て』を人格化する概念であれば、どんな概念を使っても役立つだろう。しかし、そうした概念を超えた先を見ることで初めて、君達は、本来の君達が持つパワーやエネルギー、そして、ある程度、本来の知識も解き放つことができる。そして、それを理解して初めて、やっと『在るもの総て』の片鱗がわかってきたのかもしれないと望みを持てる程度だ。『在るもの総て』は君達の肉体と存在を通して物質となるからだ」

セス・オーディオ・コレクション第1巻 テープ2


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